旧信越本線 群馬県横川駅〜長野県軽井沢駅間
その9
2017年8月訪問
碓氷第十隧道の熊ノ平側坑口です。 …なんだか左右にもトンネルがありますが…? |
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引いてみます。 ちと引き過ぎたかな。 真ん中と左側がコンクリ製の新線。右側の煉 瓦隧道が今出てきた第十隧道です。 で、見えてないですが突っ込みトンネルがさら に右手にあり、並列4連隧道となっています。 |
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突っ込みトンネル側は坑門はコンクリですが、 アーチ環は煉瓦です。 ここも見ないとですな。 …と、その前に第十隧道前の暗渠を確認しな いといけません。 |
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ありました! 生き残っています。カルバート。 手前の突っ込み線の橋梁はコンクリ橋台で、 桁はなくなっています。 |
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かなりの補修を受けていますが、アーチ環は 紛うことなく煉瓦です。 |
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(C12) 碓氷第12カルバート 8尺(約2.42m) 煉化石アーチ 明治25年8月竣功 巻厚3層の煉瓦欠円アーチです。迫受石がある のは確認できます。 相変わらず坑門が左上がりになっているのが 分かります。 |
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現役当時の姿を僅かに残しています。 このカルバート付近は現役当時相当な被害を 受けたのではないかと思うのですが… 1950年(昭和25年)6月、第十隧道付近で大規 模に土砂が崩落し、本線・突っ込み線が埋没し たそうです。崩落は復旧作業中にも発生し、計 4回の崩落で宿舎も巻き込み50名もの人命が 失われたそうです。線路は70mにわたって幅 60m、深さ2mの土砂が堆積したそうです。 …ということはこの第12カルバートも思いっきり 埋没したということですね。 それでもこうやって煉瓦を残しているということ は、その4回もの崩落に耐えきったということです ね!昭和25年ですから、煉瓦で再構築はありえ ないので、これが開業時のものである可能性は 高いですね。よく頑張りました。 |
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内部アーチは分厚いコンクリで巻かれてしまい ました。 まあ、仕方ないですね。 |
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上流側です。 こちらもしっかり煉瓦を遺していますね。 では、突っ込みトンネルを見てみましょう。 |
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こちらが突っ込みトンネルです。 巻厚5層の煉瓦半円アーチですが、坑門は コンクリ製です。 |
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坑門はコンクリでしたが内部はオール煉瓦仕 様です。嬉しいですねえ! ただ、途中からコンクリ巻に変わっております。 |
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振り返り。本線より一段高くなっております。 | |
このコンクリに変わるのはどういうことなんで しょうか? もともと突っ込み線はここまでで、時代と共に 延伸されたのでしょうか。 |
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コンクリ隧道を抜けてみます。 | |
抜けて振り返り。 土被りがないように見えます。土被りは煉瓦 隧道の部分だけで、コンクリ巻き部分はシェッド 的な役割なのかもしれません。 |
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重要な情報が書かれたプレートがありました。 工事内容 有効長延伸その一工事 A線延長47米 竣功年月 9−1958 監督員 柴崎洋一 施工者 株式会社木下組 責任技術者 谷津祐雄 (文字が判別し辛いので、間違いはご容赦 下さい) 土砂崩落事故から8年後の施工ですね。 |
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ここで行き止まりになります。 何かが建っていた土台があります。 先に進みます。 |
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カメラの紐の先が映りこんだので消してありま すorz ここからは熊ノ平が東側、軽井沢側が西側と なります。 |
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煉瓦のカベが遺っています。 何気なくある煉瓦塀ですが、こういうのは油断 なりません。 そう、足元に暗渠が埋まっている可能性が高 いのです。 |
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足元に回ってきました。 ボックスカルバートの奥にアーチが見えます ねえ。 …と、その前にこの場所に降り立つ前に、誤っ て下に降り過ぎた時に思いがけないのを発見 しました。 |
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それがこれです。 ぬぬぬぬぬ!?なんぞこれ??? |
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なんとまあ…煉瓦造りの…水路ですかね? 先程のボックスカルバートの位置からの水流 はここを通って下に落ちていくようになっていた みたいです。 |
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水路らしく函型で流路面はやや湾曲していま す。 で、一部違いますが、ほぼイギリス積みになっ ています。 …しかし、上部に石が詰め込まれています。 自然に詰まった様子は感じませんので、人為 的に封鎖してしまったようです。 その理由は… |
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はい、右に見えていたこれですな。 開業時は煉瓦水路で、後年土管化した模様 です。 因みに下方は土砂で埋まっているようですが、 はっきり追いかけた訳ではないので、何とも言え ません。 ので、素直にボックスカルバートに向かいま す。 |
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やはりありました! 内部アーチはコンクリですが、アーチ環は4層 の半円アーチを遺しています。坑門もちらと見え ますねえ。 |
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(B7) 碓氷第七橋梁 15尺(約4.55m) 明治25年11月竣功 と思われます。 …しかし、いくらコンクリで肉厚になって径間が 短くなっているとはいえ、コンクリ抜きでも4.55m ありますかねえ?宮川さんが同じ物件を計測さ れていますが、コンクリ込みで3.28mです。 4.55m−3.28m=1.27m。コンクリの厚さが 63.5p!?になります。アーチ環の並形小口面 の長さは約10.6pですから、およそ煉瓦アーチ 6層分の厚さがあるということになります。どう見 ても2層分ぐらいしかありませんよねえ? これはどういうことでしょうか… 煉瓦の巻添を後年行った可能性も、上部のコ ンクリが見えている状況から、なさそうですし… とりあえず、向こう側に抜けましょうか。 |
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反対側はさらにコンクリが厚くなっているようで すが… |
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反対側です。 …うーむ。何の変哲もないコンクリポータル… しかし!ここには銘板が付いています! |
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orz 肝心の名称がわかんね〜っす… 一段目が名称と思われます。 設計 ○○局(日本国有鉄道信濃川工事局 の名称をこの辺りではよく見ますが…) 施工 大成建設株式会社 設計荷重 KS−18 基礎工 コンクリート工 基礎根入 起○○から2M52 着手 昭和37年9月10日 しゅん功 昭和37年12月31日 あーもやっとする〜 |
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もやっと橋梁の左手にも謎の暗渠があります。 煉瓦アーチです! |
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ちょっと綺麗にさせて頂きました。 おおお…見事な煉瓦アーチ。 しかしこれは開業当時にはなかったと思われ ます。明細録に記録がありません。 しかし、例の産業技術遺産探訪さんのところで は、熊ノ平駅構内には、第十隧道前の (C12)8尺(2.44m)(※これは明細録にあります) (B7)15尺(4.57m)(※これも明細録にあり) の間に、 (C13)6尺(1.83m)(※明細録になし)がありま す。 それがこれでしょうか?宮川さん計測で1.82m なのでばっちり当たりではないでしょうか。 |
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(C13) 碓氷第13カルバート 6尺(約1.82m) 竣功年度不明 明細録にない後年物と思われます。 3層の半円アーチですが、最大のポイントは何 と言ってもこれです。 |
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ねえ!ねじりまんぽで見られるアーチ環の 斜め積みです。ただし内部はねじっておりませ ん。 ねじりまんぽではっきりアーチ環にこの施工が みられるのは、以下の4件です。 甲中吹橋梁、甲大門西橋梁、第248号橋梁、 えちぜん鉄道眼鏡橋。 ねじりまんぽではないですが、この施工が見ら れるのは、 大師第14号橋梁?、大師第16号橋梁、 (仮)大井南橋梁、小沢川橋梁。 私が見てきたものだけです。ねじりでないもの は他にもあったかもです。 |
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同じ斜め積みでも、上記のものも含めて微妙に 仕様が異なります。 大まかにわけて2パターン確認できます。 アーチ環を層ごとにずらして配置するパターン と、もう一つはこの橋梁のように、層ごと+小口 面一個一個もずらして配置するパターンです。 後者の方がより装飾的ですな。 |
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坑門の向きと洞内の向きが異なる暗渠。 しかし見た目はいたって普通の煉瓦アーチで す。 |
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振り返り。 特に変哲はありません。 |
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あっという間に反対側。 方向的には構内と平行している感じですが、外 は一体どうなっているんでしょうか? |
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やはり、構内を潜ることはなく、橋梁というより は隧道のような感じです。 谷筋が2本あり、開業当時は第七橋梁とこの場 所で駅の下を潜っていたものを、何らかの理由 でここの暗渠を廃止し、新たに煉瓦アーチ隧道 を掘削して流路を変更、第七橋梁側に合流させ るスタイルに変更した模様です。 一番の要因は、大きなコンクリ擁壁が構内を がっちり防護していることから、土砂流入のリスク がこちらの谷の方が大きかったということでしょう か。 |
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因みにコンクリ擁壁は隣(第十隧道寄り)にも あり、谷筋もありますが暗渠は無く、このような 小さな切込みが数ヶ所あるだけでした。 |
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第13カルバートの上流側坑口です。 こちらは斜め積みになっていないオーソドックス な坑門となっております。 |
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隣の谷筋に合流させるスタイルは初めて見ま した。 こちらの谷の方が土砂流出の恐れが低かった んでしょうねえ。 |
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熊ノ平駅構内に戻って来ました。 ここから軽井沢方面になると、旧煉瓦隧道群 の殆どが新線に転用され、煉瓦からコンクリに 改修されてしまいます。残念です。 そんな中、一番左側の突っ込みトンネルが煉 瓦で残っております。 廃止後、保線用として使われていたようです。 |
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巻厚5層、笠石だけの至ってシンプルな煉瓦 隧道となっております。 |
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内部も総煉瓦アーチの状態で遺されています。 | |
横川側の突っ込みトンネル同様、こちらも途中 からコンクリ隧道に変わります。 やはり延伸でしょうか。 隧道はそのまま国道18号線に接続します。 (当然柵はしてあります。) |
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駅の方に戻ります。 以上でアプトの道にある遺構は全部見て回り ましたが、やはり一発で全部見るのは大変です。 いずれまたゆっくり見回ればまた新発見がある かもしれません。 さて、これから軽井沢方面に少し残っている煉 瓦構造物を見に行きます。 以降、 その10 に続く! |