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無限に続きそうな真の闇。。。ライト消せば
眼球に供給される明かりは皆無。目をつむっ
ても、開けても映像に全く変化のない、黒、
黒、黒。。。目が潰れそうです。。。 |
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ぬうぉっっっ。。。
またしても穴が開いとるがな。。。
ちゃんと下見とかないと足をとられます。
フラッシュするとよく見えますが、ライトだけ
じゃあ危なっかしい。。。 |
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うをっっっ。。。なんか居るのかと思いまし
たよ。。。
意外と深い退避坑です。 |
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所々に見え隠れする遺構たち。。。
これはキロポストというやつでしょうか。 |
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これは。。。たしか振り返って撮った。。。は
ずですが。。。もうどっちか分かりません。
かろうじて光を届かせる将軍の深部。。。
直線であることがまだ救いのようですが。。。
もう引き返すのも大変です。ここで1kmぐら
いでしょうか。。。 |
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うををを!
(さっきから叫んでばっか。。。)
真ん中がない!完全に排水路が剥きだし
になっています。
元からこう。。。ではないとは思います
が。。。 |
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水の流れが。。。!!なんとあるようです。
列車は走らなくなって久しいですが、水は
未だに走行中のようです。
うむ、素晴らしい遺構です。
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振り返っての撮影(のはず。。。)
水の流れがよく分かります。 |
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それにしても長い。。。さすが3000mオー
バー。。。しかも山中奥深くの。。。
なんてところに穴を掘るんだ、近鉄さん。。。
将軍の懐剣を首筋に突きつけられた心地
です。。。いつでも闇の刃にヤラレそう。。。
すうっと。。。さくっと。。。ああ寒い。。。 |
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ふと壁面に目をやると。。。おお!
何かしらの銘板です。
施工 中央特殊工事株式会社
巻厚 鉄筋コンクリート厚50糎(センチメートル)
着手 昭和39年8月
竣功 昭和39年10月
だそうです。
補修工事にて、50cmのコンクリ巻厚が為さ
れたようですねえ。こんなとこに銘板あっても
見る人いないでしょうに(←ここにおる。) |
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鋼アーチの支保工も見られるようになりま
した。
いやあ、いろんなものを見せてくれます。 |
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おや。。。?
今気付きましたが、退避坑の上に数字が
書かれています。「14」と。
ひょっとしたら退避坑の数かもしれません。
カウントダウンかアップをしていく気がします。
ダウンならいいですがアップだと、残りどのく
らいかの目安にできませんねえ。。。
左にも「44」とあるみたいですが、これは
よくわかりません。
。。。因みに退避坑の奥は素掘り状態で
す。。。 |
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それからどのくらい歩いたのか。。。もうど
のぐらいの時間、どれだけ歩いたか分かりま
せん。。。が。。。
ををっ!?
光見えた!!
とおーいですが光見えます。
意外と将軍の懐は相当に真っ直ぐなようで
す。 |
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。。。カウントダウンかアップのことを忘れ
て、すっかり写真撮ってませんでした。。。
この退避坑には欠円の装飾があるなーと
しか思ってません。。。すんません。 |
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東側はすっかり闇に閉ざされてしまいまし
た。 |
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西側付近は妙におどろおどろしい洞内を
持っています。
だが、将軍突破まであと少し! |
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とうとう辿り着きました!
さすがに遠かった。。。延長3400m超は
はんぱなく遠い、暗い、寒い道のりでした。
光がこれ程にありがたい存在だとはなかな
か感じられません。 |
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振り返って、しみじみ。。。決して歩きやすく
ないバラスト面が延々続いていました。ので
結構足が痛いです。 |
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変わらず開放されたフェンスを出ての振り
帰り。
これだけの遺構、なんとか再利用とかされ
ないんですかねえ。 |
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周知の通り、これ以上先に進むことはでき
ません。私有地ですので。。。
で、ちょっとだけ西側の坑門を拝ませて
頂きます。
どんな面構えをしているのか。。。木が邪魔
ですな。。。 |
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ををっ!!
なんか立派な坑門をお持ちです。
将軍の表の顔は西側にあったようです。
笠石に、前面石積み装飾。迫石アーチも
3層で巻かれています。
そして何より。。。扁額!!! |
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「徳無疆」 金森又一郎
だそうです。
ウィキペディアによると、当時の大阪電気
軌道の社長さんの揮毫らしいです。 |
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立派な顔を持った青山トンネル。将軍に
ふさわしい威風堂々たる面構えに感服しま
した。
遂に、念願の青山トンネル攻略達成!
しかし、まだ後詰に居るんですよ、将軍より
も西側にトンネル達がまだ。。。
将軍攻略もまだ続く!
以降、その12 に続く! |
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