2013年6月訪問
こちらの電子地図をご覧ください。 こんな所にトンネル表記があります。 大阪府枚方市と京都府京田辺市の境、南側には長尾 東町の住宅密集地、東側には第二京阪道路を挟んで 松井山手の住宅街が広がるベッドタウンです。 こんな所にトンネル?まさか?って感じですが。。。 実は先にこの地図を発見した訳ではありません。 大阪府立図書館で調べ物をしていてたまたま目に入っ た聞きなれないトンネルの名前、「奥大谷トンネル」 え?なにソレ?ってところから始まりました。 よく調べてみると、この片町線には3本の山岳系トンネ ルがあったそうです。 |
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そのうちの1本、打上トンネルは地図の場所です。 現在も打上トンネルとして一応現存しますが、複線化 と共に拡幅、改築されてしまっており、往時の風情は 一切見ることができません。 もう一本、大谷トンネルは、ちょうど現松井山手駅の 場所にあったようです。松井山手駅化に伴い切り通し 撤去されました。 残る奥大谷トンネルは、複線化の波を受けて廃化さ れたものの、新線は北側に切り通しされた結果、生き 残ることができました。 ただし、枚方市側のみで、京田辺市側は第二京阪 建設や京阪ローズタウンの土地造成により消え去った そうです。 |
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居ても経ってもおられず、2013年6月某日探索を決行 しました。 途中鉄道暗渠で存在する煉瓦アーチを求めてうろう ろ。。。 河内磐船南西の天野川周辺は築堤も高くてありそう でしたが外れ。。。他も数か所見ましたが発見できず。 片町線では現況、大住−京田辺間にある小山川架 道橋しか確認されておりません。 ここは長尾駅から船橋川を渡って暫く松井山手側に 歩くと出てくる開渠です。 |
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手前はコンクリートでしたが、奥側が煉瓦橋台でした。 アーチではないですが、やはり煉瓦だとテンションあが ります。 |
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こちら側は往時の姿を留めていますな。 名称がガーダー部分にペイントされていましたが、 殆ど判別できず。「32号開渠」?かな? さて。。。ここを潜って住宅街へ。。。 。。。ここから現場までノーレポートです。 スマートなアプローチの方法は分かりません。ので、 その辺のレポートは控えさせて頂きます。 |
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。。。てなわけで。。。ワープ! いきなり竹林に降り立ちました。。。 |
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左手には現行線が眼前に。。。 ほんの少しの線形改良によって、廃化した模様です。 |
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そこからすぐ。。。 もう何かが見えています。。。 |
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さらに接近。。。 おおお!煉瓦が見える!!。。。が、竹の繁茂がすごくてよく見えませんなあ。 |
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枯れ竹だけある程度整理させて頂きました。 すると。。。これはすごい!半分埋没しながらも立派な煉瓦アーチが顔を出しています。 |
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ピントがいまいちあってないですな。。。 しかし見事なフォルムだ。。。 |
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アーチは4層巻。その4層に納まりきらないほど立派な要石が光ります。 帯石部分の煉瓦の帯も特徴的です。 |
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帯石ラインです。アーチ環もそうですが、ここも焼過煉瓦を使用して、色彩が単調な煉瓦でも濃淡を施しています。 帯石ラインは5層ですかね。上下外側に小口横並びの焼過煉瓦を配置して帯に。長手の通常レンガを挟んで中央には 小口縦積みを並べています。そして通常レンガと焼過煉瓦を交互に配置することによって、より装飾性を引き出しています。 そしてご苦労なことに要石の部分で帯を4段分引き上げています。これは非常にめんどくさそうです。 |
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真正面から。坑門は全てイギリス積みです。 笠石部分は7段使って装飾を行っています。小口面を迫出すことで装飾性を引き出しています。 |
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肝心の内部ですが。。。 残念ながらこの有様。。。荒いコンクリートや土嚢で 埋められてしまっています。 |
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要石。 煉瓦5層分の大きさですな。 敢えてこうしたのか、5層の予定が4層巻になったの か。。。? |
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うーむ。 何度見てもトリッキーですな。 縦に90度ではなく、鋭角になっている面も非常に面倒 に感じます。 |
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サイドまでスキなし。 サイドにはコンクリートの樋があります。 |
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その樋にうまい具合に設置された陶管。 こういうのも珍しいと思います。 |
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上部に登ってみました。 坑門の裏側に水路が造られています。 先ほどの陶管を通ってコンクリ樋に排水されるようで すな。 |
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ここから陶管を伝っています。 この水路は石積みですな。 |
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真上から見下ろし。 竹があるお蔭で多少は高さがわかりますかね。。。 |
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ここから現行線を見ることができます。 現行線は切り通しにて通過しています。現行線は 旧線よりもトンネル半分ぐらい上を通過する感じですな。 忘れ去られた片町線の3本のトンネル、そのうち1本 の片側が辛うじて往時の姿を遺していてくれました。 |